2015/02/04

私がお茶を習ってるわけ


ずっと書けずにいたお茶のこと。







お茶の世界に触れることは、
自分は何も知らないんだって
気づかせてもらえることだってずっと思っていて。


壁側の足から立つ、とか
この畳は何歩で歩く、とか
「そんないちいち細かいとこ決めなくても」
って思うひとつひとつが
実は一番理にかなった方法だからそう決まっているわけで



それが先生の言葉じゃなく
自分のなかの認識として定着したのは、
6年もやってても最近な気がする。



だから、ただA地点からB地点に
移動するだけのことなのに
頭が真っ白になって文字通り
一歩も踏み出せない場面もよくある。


それは私はもちろん、
何年もキャリアを積んでいる先輩たちも然りなんだけど


普段、いかに無秩序のなかで
自分が生きているかを
すごく実感する瞬間なんだな。



お茶を習うってことは
決して楽しいで片付けられることじゃないけど、

何もできない自分を知らなかったら
私は今どうなっちゃってたんだろうって考えると
自分にとってはずっと続けていきたい道だと思うの。



何より私には、
なぜかこんなに難しくて辛い茶道なのに
素敵だ、美しいって思う人が
日本だけじゃなく世界中にたくさんいるっていう事実が
たまらなくうれしいっていうのがあって。


小学生のときにお母さんに連れられて行った始めてのお茶会に、
(地元が日光っていう土地柄だってことも関係してるんだろうけど)
たくさんの外国の人が来てたことにすごくすごく胸を打たれた。
そのときに、自分がたまたまこの国に生まれたことを
すごく幸運だって感じた。


お茶のいいところはその道の者として
未熟な私でもたくさん言えるけど、
それ今ここでだらだら書いちゃうのは違うと思う。

今ここで気の利いた説明もできないから、
それはまたあとでがんばる。



ただ、
お茶の魅力を知って仲間を増やしたい
というわけじゃなくて

お茶の文化に触れて、それ以外でも
日本って素敵だなと一瞬思ったら、
少なくともこれを読んでくれる人にはその心を大切にしてほしいのです。



だからここで私の不十分な見地からでも
せめて日本のよさを発信していきたいと思ったり。している照